おはようございます。
パパじゅんです。
毎朝ブログ、125日目朝を迎えました。
今朝も早速ブログっていきます。
昨日、私と同世代で本社の営業管理部門にいる同僚から電話があり話をしました。
内容は、現場サイドと管理部門との温度差でした。
コロナ以降ネットでもよく議論されていますが、暇になったと思われる管理部門が仕事を作るための管理業務を増やすという事態が多く見受けられるようになりました。
私が所属する会社も同様で、業務に必要とうたって知識向上の研修や親会社の取り組みについての研修が増えました。
保険業界なので研修は付き物なのですが、直近の研修が日時指定の動画視聴だったため、本社に苦言を呈したところでした。
電話をかけてきた同僚にも伝えましたが、根本的に勘違いしているのではないかと。
当たり前の世に業務だからと指示を出しているが、その出す指示に責任は持っているのか?と。
どういうことかというと、例えば1時間の研修の指示が出たとして、当たり前ですが、修行時間中に1時間の研修を受けます。
ということは、本来の業務遂行時間が1時間減ります。その減った1時間、誰が責任を取るのか?ということです。
営業サイドで言えば、営業成績によって年収が増減します。ということは、営業成績を気にする人は時間外にその1時間の研修を受けます。
そうすると、うちの会社で言えば時間外労働は就業規則でみなし残業扱いなので、どんなに残業しても残業代は固定で増えません。
社員の不満につながらないわけがありません。
研修だけではなく、暇な管理者が自身の管理業務を確保するために出す指示も積もり積もれば1日のうちで数時間を占めるようになってきます。
最終的にはその同僚も私と同じ中間管理職なので、権限があるわけではありませんが、それでもこの感覚が本当にわかっているのかどうか疑問が残りました。
関連する話として、昨日昼食中に見ていた動画に藤原和博さんが出ていました。
そこで自分が前回の同僚との話で表現できなかったことを表現していました。
「年収の自給換算化」という考え方です。
所得格差の本当の意味はこの自給格差にあると考えます。
動画内では飲食店のアルバイトから企業コンサルとの間の年収格差が800倍あることが解説されていました。
見た目の年収の差ももちろんありますが、自給換算するとその差が歴然となります。
うちの会社のセールスno1と私は仲が良いので、良く車の移動中などに電話で話すのですが、彼と私の年収の差は約200万円です。
ただ、自給換算するとおそらく同じです。
私はうちの会社の就業時間の9時~5時以外は基本的に電話にも出ません。最初は「業務に必要なこともあるので電話には出てね」と言われましたが、「可能な限り出ます」といってそれでも電話に出ないことを継続したら、「彼は時間以外は電話に出ない」という認識が広まり、今では時間外に電話がかかってくることはほぼなくなりました。
部下にも同様のことを伝えていますが、部下には「本当に必要な時は繰り返し電話してね」と伝えていますし、その時は電話に出ます。
人によっては仕事を放棄しているとか、軽く考えていると思うと思いますが、その考え自体が間違っていると私は考えています。まさに同調圧力ですね。
私たちは会社と労働契約を結んでいる契約社員なのです。個人事業主でも経営者でもありません。これら3つを経験しているからこそ辿り着いている考え方なのかもしれません。
会社と交わした労働契約に基づいて、労働成果に基づいて給与を得ています。
契約以外の労働を使用者が指示し、使用人が行った場合は契約に基づいて追加の給与が発生します。これが時間外労働です。
では、給与を下回る成果だった場合給与はどうなるのか。ここは会社によって分かれると思いますが、多くの会社が1年程度の期間の査定によって翌年以降の給与が変化する就業規則だと思います。
そう、成果に見合わないから追加で無給で業務遂行をしなければいけないルールなど本来は存在しないのです。
この大前提の意思疎通ができない管理者が多いのだと思います。まぁ、生きてきた環境と受けてきた教育が違うので当然ですね。
残念ながら多くの管理者はマクドナルド型の従業員を求めている事実も知る必要があります。
だからこそ自分で自分をコントロールして、自給単価を上げるにはどうしたら良いかを考え行動に移していくべきだと私は考えます。
会社の仕組みと自身の職務内容的にそれが無理ならば会社を変え職種を変えることを検討すべきです。
今年も残り約3か月です。
皆平等に年を重ね死へ向かって歩んでいます。いつ死ぬかはわからないし、死んだあとどうなるかは誰も知りません(多分生き返った人はいないと思うから)
でも、せっかく今生きているなら自分の好きなことをして生きればいいと私は思います。それが誰かのために生きるということでもいいと思います。
そんなことを考えいるようで何も考えていなくて、ただ今を好き勝手楽しく生きている125日目の朝でした。
コメント